高校を中退してからというもの本読んで、18切符を使って国内をふらふらするという生活を、就職するまで続けていた。
世間を知りたいとか、成長したいみたいな高尚な理由は何もなくただ、ふらふらしていた。
そもそも、旅行をして何かを知るっていうのにすごく違和感がある。現地で生活するならともかく、1ヶ月やそこらそこに滞在して何がわかるというのだろう。
海外放浪系の旅行記によくある、先進国支援の的外れさとか、貧困で悩む人がいる中で自分たちは何を裕福に暮らしているのだろうみたいなのって現地にちょこっと行かなくても十二分にわかるし、逆にちょこっといくことでわかることなんて本当に薄っぺらなことでしかない。
「この本を読んで、人生変わりました」なんて最強くだらない。

つーわけで『インパラの朝』を読んだ。
インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日
インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日中村 安希

おすすめ平均
stars女の強さ
stars猿岩石物語?
stars本当に旅行した人だからこそ書ける文章ですね。
stars真面目な旅行者の初めてのイスラム圏記
stars行動力に脱帽

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第七回開高健ノンフィクション賞受賞作。
26歳の著者が、200万円弱を手にユーラシア・アフリカ大陸へ2年間の旅に出る。


「この本を読めば、人生が変わる」というキャッチコピーが許せる旅行記です。
単発の旅行しないと経験できないエピソードを繰り返し、それになれてきた頃の終盤にありきたりな途上国支援における先進国のエゴ話をされると、知ってるよ!と思いつつもぐさっとくる。
帯にある『いわば、啖呵を切りながら旅をしてきたのだ。その啖呵が小気味いい』という重松清の言葉が秀逸。
ただ、ところどころにある貧乏旅行アピールって絶対いらないよね。
旅行記によくあるんだけど、こんだけ苦労しました的なのって、そんなのしらねーよ以外の感想ありえないよね。


ところで相部屋のオーストラリアの女性は、インドへ来たわけを次のように話している。
「私はこれまで、オーストラリアの学校で教師をして生きてきた。けれど子供たちは冷めていて何の興味も示さないし、そんな子たちをあいてにして授業をすることに疲れたの。ならば自分が少しでも『必要とされる場所』へ行こうって、走考えてインドへ来たのよ」
しかし、実態は遥かに複雑だった。必要と不必要の境界線すら、突き詰めていけば曖昧だった。ハウスで働く男性は、現状に揺れる心のうちをこんな風に打ち明けている。
「僕は風邪で1日だけボランティア活動を休んだけど、僕がいなければ他の誰かが、変わりに仕事をするだけだ。僕がいてもいなくてもあまり関係ない気がしている・・・」(P55)

「選択肢のないお見合いと、自由恋愛の結婚と、選べるとしたらどちらを選ぶ?」
「僕はどちらでも構わない。どちらにも良い面はたくさんあるし、わるい部分も等しくある。ただ、僕はこの町で生まれ育って、この土地でずっと生きている。家族や友人に囲まれて、彼らの期待を裏切らず普通に生きていくんだよ。もちろん、結婚式の当日までは、僕の妻が誰なのかどんな顔をしているのかも知らされることはないだろう。良いかわるいかは別として」(略)
「だけど、僕は結婚をこんなふうにも考えている。僕は結婚式の当日にはじめて妻と出会うんだ。その日から僕らは10年かけて、お互いを知ろうと努力する。それから次の10年で、僕と妻は恋をする。そして次の10年間、夫婦として生活する。もう30んんも二人で生きれば、あとは適当に死を迎えて美しい妻ともお別れだ。創造できるかい?次に君に会うまでに、まだ会ったこともない妻との間に、僕は5人も子供をつくって、まっていなくちゃいけないんだよ」(P87)

かつて私は学生の頃、忙しい日々を過ごしていた。(略)
心臓なんかに構っていられるほど、私はひまではなかったからだ。(P143)

「私たちがしていることは、先進国の金持ちの道楽以外の何ものでもない」(P202)

たとえ不要なことであっても、ちょっと有害なことであっても、やらなくてはならないこともある―役人もコンサルタントも井戸掘りに来た技術者も、みんなが食べていくために。

もっと派手に輸出して、環境もしっかり破壊してから、先進国の高い技術で環境整備に乗り出すほうがずっと予算も消費できるし、見栄えも立派で分かりやすくて高い評価を受けるだろう。(P244)